マスダヒロシブログ

福岡を中心に全国で活動するカメラマン・マスダヒロシのブログ

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キャプションの書き方をまじめに考えてみたよ

そういうわけでパクられましてね。インスタで。それも写真じゃなくて写真のキャプションをね。


数人いる。フォローされている。面識は無いが、たまにイイねなんて押してくれたりする。堂々としたものだ。


発見の経緯は偶然です。


知らない人にイイね押してもらった。ありがたいのでどんな人か見に行ってみる。ほう、同業者か。どんな写真撮るのかな?うん、きれいな写真じゃないか。文章は...あれ?どっかで読んだ気が…


さらに読み込む。


文章の構成、言い回し、比喩の仕方、オチのつけ方(我ながら書いててとても恥ずかしい)、どう読んでも僕だ。


僕はカメラマンなので写真パクられるならまだ許せるのだ。少しばかり自尊心が刺激されて、うふふとほくそ笑んだりもできるのだ。


しかし今回はキャプションだ。写真に添えている文章をパクられた。だからモヤモヤする。

 

モヤモヤの理由を集約すると次の一言になる。



僕ごときの文章パクってどうすんのよ。これである。どうすんのさ本当に。世界には素晴らしい文章は山のようにある。どうせパクるならそっちにすればよいのに。


さて、どうしたものか。そんなのスルーしときなさいという人もたくさんいるだろう。嫁にもそう言われた。とてもドライな目で言われた。


それに「パクられた!」と騒ぐことは僕にとってマイナスになることのほうが多い。


本当にパクリなのか証明しろと言われても難しいしね。自意識過剰のヤカラだと思われる危険性もある。まぁそこは仕方ない。実際、自意識は存分に過剰なのだから否定する気もない。


自意識過剰な上に、心も大して広くない僕としては対策を講じなければならない。


なので僕がキャプション書く際に気をつけていることをここに書いておく。これを読んで、参考にし、己の言葉で書いて頂ければ、自然と自分のキャプションが書けるようになると思う。


※なお、そもそも僕は自分が書くキャプションが最上のものとも思っておりませんし、人に教示する価値があるとも思っておりません。

僕のキャプションをパクってると思わしき方々に向けて書いております。言うなれば個別教室です。トライです。それ以外の皆様には意味の無い内容かもしれませんが、暇つぶしの雑文とでも思って読んで頂ければ幸いです。

そんなこんなで読んで頂いている皆様には、ありのまま自由なキャプションライフを送って頂ければと思います。キャプションライフってキャンパスライフみたいっすね。キャンパスライフって言葉も大概ですけどね。


さて


SNSの写真キャプション書く際に僕が頭に置いていることはいくつかあるが、根幹にある思いは一つだ。


そもそも他人は僕の書くSNSキャプションなんぞに興味が無い。


コレね。
これひとつ。


これがブログなら話が少し変わる。


ブログの読者というのは、わざわざその場まで読みに来てくれてる人々だ。嬉しいよね。こんなブログ読みに来てくれて。


少しくらい長くなろうが難解だろうがお付き合い頂ける可能性がある。めんどいな、つまんないな、と思ったら次からは来てもらえない。ある意味健康的だ。こりずに来ていただいてる方々ありがとうございます。


だからブログはSNSキャプションよりも自分の中で自由度が高い。現に今日の文章もココまで1423文字も書いている。


しかしSNSの投稿は違う。


SNSは複数の投稿が流れを作っている(フィードって言うんですかね?)。

 

そのフィードをスクロールしている中で特に興味も無いのに僕の投稿を目にしてしまった人々がたくさんいるのである。すまない。


素敵なあの子の「本日のコーデ」とか見たかったのに、僕の投稿が出てきてしまったって人がいるのですよ。本当ごめんよ。

 

ほとんどの人はそのまま僕をスルーするでしょう。しかし、その中の一部がスクロールを止め、さらにその中の極一部が「続きをよむ」をクリックして僕のキャプションを目にしてくれるわけです。


そんな優しくも運の悪い方々に、タラタラまとまりの無い文章読ませるわけにはいかないな、と。だから、あの程度の短いキャプションでも推敲は徹底して行うようにしている。目指すのは簡潔な文章だ。


簡潔さというものは文字の数だけでは測れない。大半の人がスマホの小さい画面でSNSを見ている現在では視認性も大事。


たとえば

「私は握り飯が大好物でしてね」

てな文章があるとしますね。これ自体読みにくい文章では無いけど、この文の前後の文章が漢字多めで圧迫感があるときは


「私はにぎりめしが大好物でしてね」

と、一部ひらがなカタカナに置き換えたりはする。これだけでも読みやすさは変わる。とはいえこれもサジ加減が難しい。カナ表記が多ければよいと言う単純なものでも無くてね…

「ぼくはおにぎりがすきなんだな」

こう書いてしまうともはや別人の話になってしまう。 そこはバランスでしょう。


「簡潔さ」以外にも細かいコツは色々あるがここで一つ一つ書きだしたりはしない。繰り返すが大切なのは


そもそも他人は僕の書くSNSキャプションなんぞに興味が無い=だからこそ読んで頂いた方々にストレスを与えないようにしたい


というコンセプト(?)だ。

 

そこさえブレなければ、書く内容も文章の長さも自ずと決まってくる。散漫ではなくなると思う。


あとは文体だ。文章のプロでも無い僕が文体を論じること自体、甚だ恥ずかしいわけだが、そこはご容赦を。


プロが職業として書く文章や、研究者の論文だと話が変わってくるのだが、SNSのキャプション程度の文章の場合、理想的なのは「書き手の声が実際に聞こえてくるような文体」だと思っている。


実際の僕を知っている人が僕の投稿を読んでもおそらく違和感は無い気がする。僕がそのまま口にしそうなことばかり書いているし、実際、僕はあの通りの言い回しをする。


先日、撮影が終わった際、仕事仲間に「君たち先に帰りたまえ」と声をかけたら相当笑われた。


仕方がないのだ。僕は現実に「帰りたまえ」と口にする人間なのだ。スカして理屈っぽく、時としてフザけている人間だ。そんな自分をそのまま文章にするように心掛けている。


肉体化していない文章には体温が無い。パクられた文章に感じた違和感は体温の無さだ。そりゃ人の文章持ってってんだから体温なんか感じられるものではないだろさ。


文章における比喩のつけ方やユーモアの好みは、その人が、いままで何を見て読んで聴いてきたかがそのまま表れる。それも文章の体温を形作る大事な要素だ。


僕のセンスは僕だけのものだ。センスが良いとか悪いとか言うセンスの悪い話をしたいわけでは無い。小粋だろうがダサかろうが、あくまで僕のものなのだ。


パクってる方々は自分のセンスを表に出すチャンスを自ら捨てているわけでね。これはもったいないと思うよ。


「簡潔に」
「読んでくれた人に感謝を」
「そして自分の話し言葉で」


そう心がけるだけでキャプションレベルの文章ならいくらでも良くなる。あとはアナタが読み聴き見てきたものを出していけばよいだけだ。


最後に、僕が今まで何度も読んできた本を貼っておくのでご参考まで。いちいち紹介する気は無いですが、興味があれば調べて読んでみるのもよろしいかと思います。

 

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よい文章とはこういうものだと思う。これらの作品に間違いなく僕は影響を受けている。僕程度の文章パクるくらいなら、これらの作品を読んでもらいたい。比較にならないレベルで発見があると思うよ。


それではよりよいキャプションライフを。


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